2009年04月29日

憎たらしいねー

昨日は、スカイプでのお勉強会で朝の3時くらいまでチャットしてた。

手放せないでいる憎しみがまた浮かび上がってきたのね。

酔っ払いのおっちゃんに愛を全く感じなくて、相手の本来の姿なんて全然見えなくて、酔っ払いを見下してセパレートしちゃう私。

以前に、一緒に働いていた酒乱の人に「桜さんって俺の事、馬鹿にしてるでしょう」って言われた事がある。
馬鹿にしているつもりはなかったけど、嫌悪感が強くて、人として見ていないかもなーとその時思った。
そういう態度って、相手からしたら馬鹿にされてるって感じるんだろうなー。
お酒飲んで自分の弱さや怒りをさらけ出して、しらふの時は人に説教したり、教えようとしている姿がどうしても許せなくて。
子供の頃はそのギャップの激しさに、戸惑っていました。
酒乱に対する嫌悪感レベルがマックス120パーセントだったのが、今は40パーセントくらいに落ちてきたような感じ。

これって子供の頃の親との関係そのままなんだけど。
ていうか、間違って知覚している自分の姿か。


お酒飲んで「辛いよーって」泣かれちゃったら、もう哀しみしか感じなくて、暗く重いどんよりとした気分になる。
お酒飲まないと、本音が出せなくて、辛さと寂しさをお酒で紛らす。
底なしのように飲んでしまえば、自分に対する嫌悪感が増していくだけのように感じる。
お酒やその他中毒性のある薬や葉っぱや、嗜好品や、特別な関係、ヒーリングなんかも、不安定な心を一時的に安定させる作用があって、だけどそれって一時しのぎでしかないから。
暗く重いどんよりとした気分って、自分の中にあるものだから、それが引き出されるのが嫌だった。
相手が何かして、自分が嫌な気分になるから、相手が悪いって思っていた。ずーっと。
だから自分は被害者なの。
だけど、違うんだよね。
自分の中に嫌な気分があるから、それが引き出されるだけなの。
引き出してくれた人は嫌な人じゃなくて、ある意味恩人だし、鏡でもあって自分の一部分でもあるんだよね。


外側の何かに頼るのではなくて、神様に頼れば楽なんだろうな。
だけど、抵抗しちゃって、私はまだ楽になっちゃ駄目ーって自分でストップかけちゃってるし。
自分の中にある、子供の頃の嫌な記憶や、憎しみはもういらないよーって、聖霊に預けちゃおうっと。
そうしたら神様に愛されているっていう実感が強くなると思う。
神様を味方につけたら最強だろうな☆

自分の力で、苦しみや哀しみから救ってあげたいって思っていたから、重さに引きづられるんだけど、神様を味方につければ簡単なんだろうなー。

本来の強さは心の奥にちゃーんとあるんだから。

眠っている強さを奮い立たせるのは、聖霊ちゃんとの連携プレーが大切なんだなーと思ふ。

posted by さくら at 21:30 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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